胆嚢結石で腹腔鏡による胆嚢全摘手術を受けた翌年、直腸がんステージⅣと診断され、今日までの約1年間に4回の全身麻酔による手術を受けました。周りの目には「壮絶な戦い!」のように映るようですが、本人はいたって冷静であり、ひと段落したので胆嚢手術の時に習い、備忘録的に書いてみました。これからがんと向かい合う多くの方に、少しでも参考になれば幸いです。
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兆候
胆嚢結石の術後暫くの間は絶食状態であり、当然排便量も少なくなります。そんな中、入院中便に薄く赤い物が混じっている(2回)事に気が付きました。痔か大腸憩室からの出血ではないかと勝手に思い込み、その後症状も何もなく経過したため、入院中にも関わらず誰にも告げず退院しました。おそらくそれが最初の警告ではなかったのか…
大量下血
胆嚢手術から半年が経過し、何事もなく順調に経過していたある日の夕方、トイレで大量下血!便器が真っ赤になり、まさに血液...
びっくりして胆嚢の手術でお世話になった救急病院に連絡をして、受診をお願いできるか聞いてみました。
対応して下さった看護師さんからは「めまいやふらつきはありませんか?今すぐ電話を切って救急車を呼び、救急隊員の指示に従ってください。」と言われ再度びっくり!
事の重大さに気が付きました。
*結局同じ救急病院に搬送されました。
入院そして直腸がんの宣告
病院で診察を待っている際にもずっと大量下血は続いていましたが、本人はまだ大腸憩室からの出血を疑っていませんでした。
病院でトイレに行った回数は3回で毎回血液。
「これはすごいですね!」 看護師さんも絶句…
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急遽造影CTを行い、憩室からの出血ではなく、別に病変がありそうだとの診断で緊急入院することに。
4時間ほど経過していましたが、そのころには下血は治まっていました。
大腸ファイバ、造影MRI、血液検査等、様々な検査を行い、2日後に家内と二人で呼ばれて先生からの病状説明です。
「直腸がんですね。直腸内の3分の2程を覆っており、周囲のリンパ節と肝臓にも転移しています。ステージⅣです。」「肝臓への転移は1か所。肺、その他に転移は見られず、腹膜播種は無いと思われます。手術は可能です。」
比較的に冷静に受け止められました。ネットでの体験談などに書かれているような「目の前が真っ暗になった。」「冷静に話が聞けなかった。」「涙が止まらなかった。」
年齢が60歳を超えているのが理由かもしれませんが「癌なのか…」程度の感想しかありませんでした。
検査結果の丁寧な説明を伺い、今度は治療方法を選択する事に
1. 直ぐに手術
2. 抗がん剤治療を行ってから手術
先生からは抗がん剤治療の先行を提案されましたが、抗がん剤を使用すると制御できないほどの大量下血が起こる事があり、その際には重大な結果になる事があるリスク説明もありました。
家内と相談し、その場で抗がん剤での先行治療をお願いしました。
初めて直腸がんと診断された際にステージⅣと分類されるのは約17%、そのうち遠隔転移巣の手術が可能な症例は約20%だそうです。手術を受けられるだけラッキーなのかも知れません。
抗がん剤治療と手術(入院歴)
(1回目)
令和2年2月(9日間)
理由:下血(直腸がんによる)
(2回目)
令和2年3月(8日間)
理由:抗がん剤治療(化学療法)導入の為
*入院2日目、右腕前腕部にポート埋め込み手術施行
(3回目)
令和2年5月(4日間)
理由:大腸EMR(内視鏡的粘膜切除術)
(4回目)
令和2年6月(16日間)
理由:直腸がんに対するロボット支援直腸低位前方切除術 + 人工肛門(回腸)造設術
手術時間:10時間
(5回目)
令和2年8月(14日間)
理由:転移性肝臓がん切除術(腹腔鏡)+ 人工肛門(回腸)閉鎖術
手術時間:6時間
(6回目)
令和2年10月(8日間)
理由:転移性肝臓がん切除術(腹腔鏡)
手術時間:5時間
(7回目)
*令和2年12月には転移が判明していましたが、再発間隔が短すぎるため、手術前に再度抗がん剤治療が行われました。
令和3年5月(9日間)
理由:転移性肝臓がん切除術(腹腔鏡)
手術時間:4時間
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抗がん剤治療の経過
(1回目)
令和2年3月~5月 *6クール
抗がん剤 + 分子標的薬(抗EGFR抗体)
5-FU + ロイコボリン + オキサリプラチン + パニツムマブ
*第3クールの点滴中のどの違和感があり、その後オキサリプラチン中止
(2回目)
令和2年12月~令和3年4月 *6クール
抗がん剤 + 分子標的薬(抗VEGF抗体)
カペシタビン + オキサリプラチン + ベバシズバブ
*カペシタビンの内服では下痢症状が強く、度々休薬。オキサリプラチンは完走。
治療期間中気になった事
抗がん剤の副作用
よく言われる「吐き気」を感じることはあまりありませんでした。多少のむかつきはありますが、薬で制御できるレベルでこれには助かりました。点滴中や終了後に強い吐き気止めが用意され、ずいぶんと良くなっているそうです。
2回ともオキサリプラチンが使われていますが、指先のしびれ(抹消神経障害)がだんだん強くなります。冷たい飲み物、ドアノブ、冷気などに触れると強い痛み?を感じます。特に冬の冷気(風)に当たると目が開けられなく、瞼が痙攣することもあるためゴーグルを使用しました。(冷蔵庫で良く冷えた飲み物のアルミ缶等は今でも素手で持てません。)
1回目の分子標的薬(パニツムマブ)は皮膚の乾燥が強く、脱毛もあります。皮膚の乾燥には全身に保湿剤を塗って対応しますが、それでも皮膚はいつも白い粉を吹いた様でカサカサします。顔は全体にどす黒くなり、シミも目立つようになります。脱毛は洗髪する度にびっくり!男性なので髪は短めですが、それでも毎回驚くほどの抜け毛があり、女性は大変だと思いました。薬が終了すると問題なく生えてきますので、ご心配なく。皮膚の乾燥は1か月程は続いた後改善しました。
2回目のカペシタビンは下痢の副作用が強く、始まるとトイレから出ることができません。酷い時は夜も眠れないほどでした。苦しさに耐えられずしばしば休薬しましたが、その都度先生に励まされ、下痢止めで何とかコントロールするように指導されました。また、「手足症候群」という症状があり、手足の指先の皮が角化してどんどん剝けて痛みが出ます。(服薬終了1か月経っても症状は変わりません)
私の場合普段使う右手指先(中指、人差し指、親指)に症状が特に強く表れ、洋服のボタン止めや飲み物のキャップ開けがうまくできず、手袋をしているためパソコンなどの文字入力にも問題が生じています。ネットで調べると私の障害の程度はグレード1程度だと思いますが、指先はオキサリプラチンによるしびれもあり、日常生活に支障があります。
1回目は点滴終了後2日間程は比較的元気ですが、3日目から倦怠感が出始め5日目ほどがピークで動けなくなりその後回復。そのパターンに合わせて仕事を調整し、休んだ日には自宅療養するしか出来ることはありません。
2回目は第3クール以降点滴終了初日から強い症状があり、帰宅時タクシーの降車後もしっかりと歩けない程でした。足がつったような症状がありしびれも強くありました。
薬の蓄積が原因と思いますが、季節が冬で気温が低かったのが一番の理由ではないかと思います。
冬の抗がん剤治療は注意が必要です。(本当に辛かったです)
抗がん剤治療を受ける化学療法室には看護師さん達がゴーグルをして手袋をしている理由が書いてあります。また、トイレを使用した際には2回流すように勧められています。
理由は… 抗がん剤に発がん性が有るからだそうです。 何だかなあ?????
手術と全身麻酔
手術室は結構物々しく、初めてだとチョット緊張。看護師さん達は緊張をほぐそうと、皆さん大変優しく、安心させて下さいます。硬膜外麻酔は入れると痛みが少なくなりますが、入れている間は尿道カテーテルを抜くことができないのが欠点です。
痛みは軽減されるので私はいつも希望しますが、全身状態によって、出血傾向や血栓の存在が疑われる場合には対応してくださいません。最終結果は手術室で麻酔科の先生に告げられるのですが、私の場合は2勝2敗でした。
無理して使用した際のリスクを聞いていると、どうしても入れてくださいとは言えなくなります。麻酔科の先生の判断にお任せです。
全身麻酔は口からの吸気で行うのではなく血管からの薬剤投入で行われます。
「薬が入ります。」と聞いた直後に肩をたたかれ「終わりましたよ!」の感覚がいつものパターン。何時間経過していても、その間に何が行われていても全く記憶にありません。(当然です)ところが今回初めて夢を見た記憶があります。ほんの数秒間のとても楽しい夢でしたが、直ぐに現実に引き戻されました。
術後は強い吐き気があり、毎回閉口します。何も出るものは無いのですが、数回えづきます。
初回の手術終了時には真っ直ぐ病室に戻りましたが、2回目以降、肝切除を行った際にはICUで一泊しました。当日は寝ているだけですから良いのですが、病室に戻った翌日には朝から体重測定があります。初回の手術には10時間掛かっており、病室に戻ったのは夜の8時過ぎでした。次の日の朝、7時に起こされ体重測定を求められた時には看護師さんを「鬼!」「悪魔!」と呼びたくなりました。(看護師さんごめんなさい)
それでも硬膜外麻酔が入っていたおかげか、さほど強い痛みはなく、無事に任務が遂行できました。(人工肛門が設置された自分の右下腹部には少し違和感を覚えました)
3日目にはリハビリの先生が病室に来てくださり、いろいろと指導を受けます。
尿道カテーテルだけではなく、人工肛門設置、お尻にも管が入って肛門に縫い付けられています。痛くてベッドに座ることも困難です(持参した円座が大変役に立ちました)が、先生の指導でだんだん動けるようになり、翌日には一人で病棟内を歩くことができるようになります。最終日にはリハビリメニューを作成してくださいました。
リハビリは重要です。3回程の指導でしたが、体を動かすことで呼吸がずいぶん楽になりました。
手術後は一日一日回復するのを実感しますが、
「何時退院できるようになりますか?」
「人工肛門の処理が一人でできるようになったらいいよ。」
令和2年度は6月、8月、10月と2ヶ月置きに3回全身麻酔を行いました。麻酔科の先生に「こんなに短期間で繰り返し全身麻酔を行っても問題はないのですか?」と伺ったら「昔と比べて麻酔の技術も随分進歩しているから大丈夫ですよ。」と言われました。
人工肛門(ストーマ)造設
直腸がんの手術を受けるにあたり、精神的にショックを受ける事の一つに「人工肛門造設」が有るのではないでしょうか。
www.jfcr.or.jp
今は手術の技術が進歩し、そのリスクも随分と軽減されたようです。私も永久的な人工肛門(ストーマ)を覚悟していましたが、一時的な造設だけで、2度目の手術の際には閉鎖することが告げられました。直腸がんの手術後の重大な後遺症の一つである、縫合不全を回避するための一時的な処置だそうです。
ストーマには二つの種類があり、今回選択されたストーマは回腸ストーマで、結腸ストーマよりは管理が容易といわれています。
cancer.qlife.jp
入院中には1日おきにパウチの交換を行いますが、看護師さんがやってくださったのは2回。3回目からは自分でやります。出来なければ退院できませんので必死です。自宅に帰って家族に迷惑を掛けないためにも、社会復帰した際に困らないためにも、ここはしっかりと習得します。
人工肛門の生活は面倒ですが、さほど不便ではなく、回腸ストーマだとにおいもあまり問題ありません。携帯しているバックが溢れないように注意しておけば食事制限もなく、アルコールも少量であれば大丈夫です。調べると人工肛門閉鎖後にも様々なトラブルがあるようで、皮膚障害が無く、後10歳年を取っていれば永久的人工肛門でも良いかなと思ってしまいました。
*閉鎖後普通の生活に戻ると、ヤッパリ閉鎖して良かったと思います...
ganjoho.jp
人工肛門閉鎖の手術後が一番大変です。排便コントロールが旨くいかず、ずいぶんと苦労しました。(現在も苦労しています)長い期間をかけて改善してくるとの報告もあれば、半年たって症状が良くならなければその後の改善は期待できないとの報告もあります。時間という最高の薬に期待するしかありません。
インフォームドコンセント(IC)
造影剤を使う検査や輸血、抗がん剤治療、手術の前には必ず主治医からの説明(インフォームドコンセント)があります。
「私、失敗しないので!」「大丈夫です、お任せください。」「必ず治りますよ。」等など…
テレビドラマのセリフでよく聞くフレーズですが、現実の医師は絶対にこのような言葉は発しません。ただひたすらリスクの説明をします。患者は説明を聞くたびに同意書にサインを求められます。副作用や後遺症は数%以下しか起こりえない事象に対しても説明があり、だんだん不安が大きくなります。
「先生、嘘でも良いですから前向きなことを言っていただけませんか?」
「すみません、規則ですから。」
*仕方が無いないですね、日本も欧米並みに訴訟社会になってきましたから…
入院生活
コロナ渦の中での入院でしたから、病棟からの出歩き、家族の面会は一切禁止、買い物に行けなければ、気晴らしの散歩もできません。テレビを見るか、動くようになった体を持て余すかの様に病棟内を徘徊、歩き回ります。唯一の楽しみは食事…..なのですが???
時間を持て余すことは学習しましたので、後半の入院時には色々と工夫して準備しました。
Amazonプライム・ビデオから気に入った映画やドラマをノートパソコンにダウンロードして持ち込みます。スマートフォンのデザリングを利用して、病室内でもインターネットができるように準備もしました。ラインを使っての家族とのやり取りだけでなく、通常のパソコンメールも利用できるようになりました。
暇つぶしに良い事だけのように思われますが、重大な失敗があります。病室でリモートで仕事ができるようになるのです。体が動くようになった後ならまだ良いのですが、手術後当日や翌日の連絡はご勘弁願いたいです。贅沢な悩みですけどね。
わが愛猫(ロシアンブルーの晴明)に会いたくなったら防犯カメラ映像に接続して顔を見ることができ、音声も繋がります。相変わらずの可愛い姿を見るだけでも心の癒しになりました。
病院では天使のような看護師さん達。本当にお世話になっています。
日々掛けて下さる言葉がとても励みになるのですが、注意することが一つ。冗談で言った一言も記録されていると思ってください。患者との会話は今後の看護に役立ち、看護師間での情報共有の一つなので理解できますが、注意してください。くれぐれもセクハラ発言などして困らせないように協力しましょう。
ステージⅣ
直腸がんステージⅣについて調べていると、ステージⅢまでに比べて情報が少ないことに気が付きます。免疫療法の紹介などの情報が多く、もはや末期がん扱いなのでしょうか。
確かに他のステージと比べて5年生存率が極端に低く、全体では20%以下のようです。
最近新たにステージⅣに対する治療方針の一つが更新されました。
大腸がんのステージというのは遠隔転移のないⅢまでは細かく分類され、治療方針もある程度決定しているようですが、それ以上に進行した際にはすべてⅣで表現されています。個人的にはステージⅣの中だけでも10段階くらいに分類されていても良い気がします。完治が期待できるⅣから緩和ケアを考えなくてはいけないⅣまでがんの進行状況には差があるのですから…
転移のパターンは多種多様で分類するのは困難なのでしょうか?それともⅣになったら既に期待することは無駄なのでしょうか?5年生存率20%以下という現実は、発見時の状況がどうであれ、遠隔転移が存在すると差がないという事なのかも知れません。
傷跡
毎回手術前のインフォームドコンセントでは「安全第一で行うから腹腔鏡で無理はしません 。危ないと思ったら開腹に切り替えますので了承してください。」といわれます。
幸いにも今の所、手術は全て腹腔鏡で行われています。腹腔鏡は手術時間は長めですが、傷跡は小さく、術後の回復も早いと言われています。私自身最短で術後1週間で退院できる程でした。
4回も手術を受けると、昔なら「私の体は傷だらけ」との表現を使うのでしょうが、腹腔鏡の場合は、「私の体は穴だらけ」の表現が正しいのかも知れません。家内に穴の数を数えてもらうと全部で15個(お臍含む)ありました。重複して使用されている個所もあれば、ほとんどわからなくなっている傷跡もあります。
医療費
私の場合、手術を4回受けた令和2年度の医療費(診療報酬点数)は100万点を超えていました。金額にすると1,000万円です。もちろん、保険適応ですし健康保険に加入していますので3割負担です。また、国には高額療養費支給制度があり、月額で一定額を超えた部分については補助されることになっており、確定申告時時に医療費控除を申請すると戻ってきます。
会社員で健康保険に加入していれば事前申請が可能で、【健康保険限度額適用認定証】を健康組合から発行していただいていれば、病院の窓口会計で処理され、面倒な確定申告は不要になります。
初めて化学療法を受けた帰りに病院会計窓口で清算しようとすると、現金が足りず、思わずカード払いに変更しました。請求内訳を確認すると診療報酬点数で50,000点以上。化学療法1回の費用は50万円を超えている事になります。国の医療費を圧迫している原因の一つになり、恐縮です。
がん保険
がん保険の必要性は痛感しました。私は生命保険に加入していますが、その内容については無頓着で死亡保険金の金額ぐらいしか頭になく、子供たちが成人して独立したのをきっかけに数年前に書き換えを行っていました。内容はすべて保険外交の担当者にお任せでしたが、がんについては特約を付けてそこそこ手厚い内容にしてくださっていました。
おかげで国の補償と生命保険のがん特約でほとんどの医療費を賄うことができ、安心して治療を受ける事ができました。中々、健康な時に生命保険の内容を詳しく把握して将来に備えることなどできませんが、今回は保険会社の担当者に感謝です。職場にも迷惑を掛けますし、療養期間が長くなった時のことを考えると、「休業補償」の特約もついていればなお良かったと思います。
家族
家族には心から感謝しています。自分達でインターネットを使っていろいろと調べて、いろいろな思いはあると思いますが、病気になって話をしても冷静に受け止めており、何ら普段と変わることなく接してくれます。入院する際にも「行ってらっしゃ~い。」と軽く送り出してくれ、退院しても「おかえりなさい。」と仕事から帰った時の様な態度です。
これが私にとって一番うれしく、普段の生活の流れの中に、がん治療が自然に溶け込んでいるような気がして安心します。あまり構えると疲れてしまいますからね。入院中は体調が良くなってくると一日でも早く退院したく、病棟内を歩き回って全身から「退院させて下さい!」オーラを出しています。
家内からは「もう少し入院していなさい!」と言われますが、私の体を気遣っての言葉と信じています。
仕事の事
約1年間に68日間(7回)入院し、退院後は1~2週間自宅療養をしています。また、抗がん剤治療は2回(6クール×2回)行っており、体調の悪くなりそうな日ができるだけ土日、祭日に当たるように、治療開始日を調整していただいていますが、それでもその都度3~5日間休みを頂いています。年度をまたがっていますが、結局合計100日を超える休暇となっています。当然有給休暇だけで対応できるはずもなく、職場の「病気休暇制度]を利用させて頂きました。
work-holiday.mhlw.go.jp
一緒に業務をしている同僚には大きな負荷が掛かることになり、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
自分の出来ることは、無理をせず、なるべく早く職場復帰する事ですが、幸いにも肝臓の転移巣の摘出は毎回腹腔鏡で手術をしていただいており、直近の手術では術後1週間で退院、1週間の自宅療養後に職場復帰ができました。
最短の退院は術後6日です。ただただ、先生と医学の技術進歩に感謝です。このような状況だから2か月毎に3回、全身麻酔での手術なんて事ができるのでしょうね。
自宅療養中は足の筋力を少しでも回復させるため、体調の良い日は公園を散歩し、病院で頂いたリハビリメニューをこなします。出勤した際には「元気そうだね!」と同僚から声をかけてもらう事が目標です。休んでいるだけで迷惑を掛けているのに、あまり心配させたくありませんからね。
これからの事
がんとの闘いは終わったわけではなく、これからも続きます。1か月後には術後の抗がん剤治療が検討されています。また、再発のリスクもあり、手術の回数も増えるかもしれません。家族や職場の同僚、病院の医師や看護師さん達にもまだまだお世話になる事になるかもしれません。これからもよろしく!